2016/10/14
ぼけは、ただ大きくぼければイイってもんじゃない
オリンパス・M.ZUIKO DIGITAL ED 25mmF1.2 PRO + OM-D E-M1最近の傾向として、大きくぼける写真がとても好まれているようだ。ピントを合わせたところ以外がぼけて写ればそれで満足する人も多いみたい。大きくぼけてれば、ただそれだけで「ぼけて写るからいいレンズだ」と言い切る人も出てくる始末で、そりゃあ違うぞ、と老婆心ながらひと言いいたい。
ややオタクっぽい話になるが、写真にとってのぼけは、そのカタチやぼけ具合が大切にされ、レンズ設計者もそこにこだわって設計をしている。しかし、その写真のぼけについての「良し悪し」を語るのは非常に難しい。
たとえば、一般的に二線ぼけとよばれている、ぼけの周辺部がくっきりしたリング状に見えるようなぼけは「良くない」とされている。しかしそれは、良い悪いではなく好き嫌いの話と言えなくもない。「悪いぼけ」とされている二線ぼけが「好きだ」という人もいないでもない(まあ、珍しいけど)。
つまり写真のぼけの「良い、悪い」なんて結局は個人的な趣味趣向によるもんではないかと思うわけですよ。
と、そんなふうに切って捨てるような言い方をしてしまうと、ぼけの描写にこだわっている人たちや、そう、苦心苦労しながらレンズ設計をしている人たちにに申し訳ない。

私たちの肉眼では、リアルタイムにぼけを「見る」ことはできない(眼に障害のある人以外は)。写真に写っているぼけと、見比べることもできない。写真(映像)の世界だけの現象だが、しかし写真にとっては、ぼけは大変に重要な要素なのだ。。
写真(静止画像)の大きな特徴は、ピントの合った部分とぼけた部分で構成されていて、その関係が定着固定されて永遠に持続していることだ。シャープにピントの合ったところと、大きく小さくぼけたところが渾然一体となって画像が形成され、その状態が変化しないのが写真だ。
だから、そのぼけている様子が、美しく自然にぼけて写っているかどうかも大切になってくる。写真を鑑賞するときに意識して見つめてみることだ。
ではいったい、どんなぼけが良いぼけとされているのか。
シャープにピントが合ったところから、なだらかに自然にぼけて、ぼけた部分が円く柔らかなぼけが良いぼけとされている。良いぼけの写真は奥行き感や立体感が素直に感じられる。「空気が写るレンズ」なんて言われることもある。それが透明感であり立体感のある描写のことを言っているのだろう。舞台の書き割りのように見えてしまう、写ってしまうレンズはよろしくはない。
さらに言うと、がくんっと急激に大きくぼけてしまうようなぼけ、輪郭がくっきりした堅いぼけ、不自然なほどぼやぼやにぼけているようなぼけ、色が混じって濁ったような透明感のないぼけ、などなどはあまり良いぼけであるとは認められていない。
いけないいけない、こんな曖昧で観念的な話をするつもりではなく、オリンパスの25mmF1.2レンズのぼけ味について話をするつもりだったのだが、申し訳なかったです、ハナから横道に逸れてしまった。
こちらのイラスト図は25mmF1.2のレンズ構成を示した断面イラスト。19枚の光学レンズがキレイに並んだ様子はなかなかなモンだ。
ズームレンズならいざ知らず、単焦点レンズでこんなにたくさんの枚数の光学レンズを使ってるものは、写真レンズとしては珍しい。
なぜ、こんなにも多くの光学レンズを使っているのか。その第一の目的は美しい自然なぼけ味のレンズを作りたかったからだ。事実、ボケ味はなかなか優秀。
ほかにも、色収差を目立たなくしたり(大口径レンズなのにほとんど目立たない、F1.2で少し、F1.4でほとんど消える)、さらに他の収差を「適切に抑え込む」ためには ━━ 良いレンズ描写のためには収差をなんでもかんでも徹底的に抑え込めばイイというものでもない ━━ たくさんの光学レンズは必要不可欠だった、とレンズ設計者は考えたのだろう。
それにしても、どこのメーカーにも言えることだけど、最近は、カメラよりレンズのほうがススんでいるようにも思え、進歩の具合も顕著ですね。