2008/06/26
良い写真を撮るための形而上的ヒント、つづき
キヤノン・EOS Kiss F + EF 24?105mmF4 IS以下、大上段に振りかざして言うほどの内容でもないけれど。
カメラを構えて「さぁ、これから写そう」、としている被写体は、後左右ぐるりと空間が繋がって広がっていて時間も、継続連続した世界だ。そのうえ、写真の中には封じ込めることのできない音や匂いや風やなにやかやが複雑に絡み合って、それを見て感じてそしてなにかに感じて(感動して)、カメラを構えて「表現」をしようとしているわけですね。感動に強弱、大小はあるにせよ。
でも、そうした“現実”のもろもろの状況は写真には写らないわけです。音も匂いも時間も、連続した空間も写真に写すことは(不可能とはいわないけれど)写すのはひじょうに難しい。写せるのは、上下左右に広がった三次元空間(立体世界)の中から、限定された四角の部分を切り取った範囲だけであって、そのうえ範囲を決めて写したとたんに二次元空間(平面世界)に変換されてしまう。その瞬間、被写体の空間的時間的な連続性は断ち切られてしまいます。

くどいようだけど、現実を写した写真は、現実のように見えるけれどそれはまったく違う。虚構の、完全平面の、四角い枠で囲われた限定された空間世界です。結局は、写真を見る人 ―― 家族であったり友人だったり、まったくの見ず知らずの人たち ―― の想像力に頼って「現実世界」をアタマの中で創り上げてもらうわけだ。そこで初めて写真を撮ったあなたの視線と感動を“共有”してもらえるわけです。
これが“撮影”ということなんだ、ということを少し知ったうえで撮るだけで、たぶん、それを考えもせずに撮っていたときよりも写真はぐんとよくなると思う。中には、そんなこと毫も考えずにウマい写真を撮る人がいるけれど、それは生まれつきのセンス。ついでに、誤解を恐れずに言ってみれば、カメラやレンズや画質の良し悪しは、写真の良し悪しとはあんまりかんけいないと思いますよ。