いま、コンパクトカメラに求められるべきもの

リコー・GX200 + TELE-CON(TC-1)
 昨日のつづき。
 画質が「良いとか悪い」とかの客観論的な評価軸にいつまでもしがみついているんじゃなくて、そのカメラの画質が「好きか嫌いか」といったもう少し自分自身に根ざした評価軸で画像を見てみるべきなんじゃないだろうか。そういう意味で言えばGX200の写る画像は、個性的で独自性があってぼくは好きですねえ。画質が良いか悪いか? 良いですよ、ノイズ処理のやり方にぼくとしてはちょっと不満もあるけれどGX100に比べれば格段にシャープで解像力も高く、階調描写力も良くなっている。コンパクトカメラとしては上等じゃないでしょうか。……でもツマらないよねえ、こんなハナシするの、ほんとナンセンス。
 ところで、コンパクトデジタルカメラの画質の“悪さ”を証明したいがために、デジタル一眼を持ち出してそれとコンパクトカメラを撮り比べる人がいますね。「ほら、デジタル一眼のほうが画質がいいじゃないか」って。なーんにもわかっちゃいませんね。やってることがめちゃくちゃ。


 ぼくがコンパクトカメラの高ISO感度での、とくにノイズにたいして、もともと淡泊なせいかもしれないが、それにしてもコンパクトカメラの画質がもうここまできてるんなら、それでまぁ良し、ほぼ合格点でいいんじゃないかなあと思う。
 ここでひと言つけ加えるとすれば、「画質」ってひと言でいってるけれど、通常感度のでの写り、高感度でのノイズの処理、それによる解像感の低下具合、階調描写性能や発色傾向、AWBの安定性、そしてレンズ描写力などなどを総合的に「見て」、そうしたうえでそのカメラのポジショニングやユーザーターゲットなども「見つつ」、良いとか悪いとかを言うようにしているつもりだけどね、ぼくは。

 むろん、いまよりもさらに画質が良くなるに越したことはない。そう望みたい。いや、だからといって、画質を向上させるためにカメラ開発のパワーの多くを投入しすぎて、結果的にコンパクトカメラに求められる他の大切なものの進化がストップしてしまうのは、それはいやだね。

 先日、コンパクトカメラに求められる大切なもの、について少し感想を言った。繰り返すけれど、いまのコンパクトカメラに大切なものは、操作性、愉しさ、そして外観デザイン、この3つではないかと思う。
 そのへんのこともリコーはよくわかっていて、そのあたりの“ツボ”を押さえたカメラを作ってきている。なお、言わずもがなのことだが、だからといってリコーの開発の人たちが画質のことを二の次に考えているというわけではない(と思う)。GX200の画質向上のための新しい機能を見てみるだけでなんとなくわかるけれど、相当にがんばってあれこれ工夫も凝らし画質を少しでも良くしようとしてますよね。