使ってみたらすぐわかる進化

リコー・GR DIGITAL IV

 GR-DがII型からIII型にモデルチェンジしたときは、レンズが変わる、液晶モニターが大型化したという“大技”チェンジだった。とてもわかりやすいモデルチェンジで、実際、II型とIII型を比べてみたぼくの感想は、「II型ユーザーはIII型に買い換えた方がいいぞ」とまで、おせっかいなことを言ったり書いたりしたほど。
 で、今回もまた、III型からIV型のGR-Dモデルチェンジについても、同じようなことを言っている。また同じことを…と思われるかもしれないが、しかし、これはいまぼくの正直な感想だ。むろんIII型からIV型に買い換えるかどうかは当事者の「勝手」だ。もしぼくのせいで買い換えて、がっかりしようが落胆しようが、それはぼくの知ったこっちゃないです。オーンマイリスク。

 II型からIII型のチェンジは「カメラを見たらすぐわかる進化」だったが、III型からIV型の今度のチェンジは「カメラを使ってみたらすぐわかる進化」だ。III型とIV型を見比べただけでは進化の具合がわかりにくい。でも、新IV型は少し使ってみれば「ほほーっ」と誰もが感心することは間違いないだろう(I、II、III型を問わずGR-Dシリーズのユーザー限定だけど)。
 だから、現在GR-Dユーザーで、IV型がとても気になっている、しかしいろいろと都合もあって買い換えられないという人は、IV型で試し撮りを決してせずに遠くから眺めているだけにしたほうがいいでしょうね、老婆心ながらご忠告。


 III型ユーザーのぼくがIII型に抱いていた不満は、手ブレ補正機構がないこととローパスフィルターを使用していること、そして約1.5コマ/秒という連写速度の遅さだった。マゼンタレッドの色かぶりがする、発色がニュートラルではないことに不満を持っている人もいたようだが、ぼくはそれについては(ドンカンなのか)ほとんど気にならなかった。
 リコーの場合は、レンズ内に手ブレ補正機構を組み込む方式ではなく、じかに撮像センサー自体にブレ補正機構を組み込む方式をとっていたので、それをぜひGR-Dに使ってほしかった。II型からIII型になるときも大いに期待していたが大ハズ。手ブレ補正はぜひほしかったので、新IV型でそれが実現してとってもうれしかった。

 ローパスフィルターについては、オリンパスのXZ-1(ローパスフィルターなし)と撮り比べたときに歴然とした「差」を見せつけられて、せっかく素晴らしい描写のレンズなのにローパスフィルターが足を引っ張っているとぼくは確信したわけだ。

 以下のことはあとで聞いた話だけど、リコーの開発のメンバーもそれを重々承知していて、何度も、そして長期にわたりローパスフィルターを外すかどうか検討を重ねたという。結果、やはりローパスフィルターを取り去ってしまうことによる「問題」を見過ごすことはできなかったらしい。
 しかし、なんとかしなければならない、ということでIV型では“極薄”のローパスフィルター(もちろん高価になる)に変更してレンズの解像感をできるだけ生かすように努力をしたというのだ。同じレンズ、同じ撮像センサーを使いながら、III型よりもずっと画質が良くなったのは、ひとつはこうした理由もあったのだ。

なぜ、最高のスナップショットカメラ、なのか

リコー・GR DIGITAL IV

 撮影シーンがストリート(街中)、カントリー(田舎)を問わず、現在のデジタルカメラの中でGR-D IVはスナップショットカメラとして、オンリーワンとは言わないまでも「ベストワン」のカメラではないだろうか。
 スナップショットとは撮影スタイルの1つである。撮影カテゴリーではない。なにかを感じたら、その気分が失せないうちにすぐさまカメラを構えて撮るというスタイルがスナップショットだと思う。だから風景写真、人物写真、動物写真、料理写真などなど、どんなカテゴリーの撮影でも、スナップショット(の撮影スタイル)で写すことがあってもなんの不思議もない。

 別段、はっきりした定義はないけれどそうした撮影に最適なカメラがスナップショットカメラだと思う。そしてスナップショットカメラであるための必須の条件がいくつかある、とぼくは考えている。以下、順不同。
 (1) 小型で軽量。(2) 正確で素早いピント合わせ。(3) 確実なフレーミング。(4) 優れた描写性。(5) シンプルな操作性。(6) 速写性。大まかに言えばこの6つではないだろうか。


 なかでも、感じたらすぐにカメラを取り出して素早く写せることは、スナップショットカメラにはなによりも大切な条件だ。
 GR-Dシリーズは一貫して小型で軽量、なおかつ薄型であった。GR-D IVもそれを受け継いでいる。小さなカメラだから、たとえば洋服のポケットに気軽に入れておくこともできる。「撮りたい」と思ったときに、さっと取り出せる。メインスイッチを入れればすぐに写せる速写性もある。さらに、新型GR-D IVになって明るいシーンでもくっきりと良く見える視認性の優れたモニターが備わって気持ちよくフレーミングもできるようになった。急いでシャッターを切っても正確にピントが合ってくれ、ブレの少ない高品質な写真も得られる。

 では描写性、つまり写り具合はどうなのかといえば、少なくともぼくにとってはまったく不満はない。色調もナチュラルでとっても良い写りだと思う。前モデルのGR-D IIIと撮り比べてみたら、なおさらⅣの良さが際立ってしまう。レンズも同じ、撮像センサーも同じなのに、なぜこんなにも写りが違ってしまうのか不思議に感じたほど。

 なかでも高ISO感度のノイズの目立ち具合がIII型とⅣ型では「月とすっぽん」ぐらい違うのにびっくり(III型ユーザのぼくには少なからずのショック)。だから、もしいまGR-D IIIのユーザーで、高感度の画質に強いこだわりがあるのであれば、迷うことなくⅣ型に切り替えてしまうのがいいでしょう。
 いやIII型とⅣ型とは高感度画質だけでなく、他にももっともっと気になる「進化」がある。その「進化」は現在GR-D IIIのユーザーなら(I型、II型のユーザーならなおさら)、少し使ってみただけで地団駄を踏みたくなるでしょう(煽ってるわけじゃないですよ、ぼくの小さな感想を述べてるだけですよ言っときますけど)。

最高のスナップショットカメラ

リコー・GR DIGITAL IV

 先日からの twitter にもぶつぶつと述べたが、ぼくはGR-Dシリーズを初代I型からずっと見続け使い続けてきたけど、このGR-D IVで完成度がいちだんと高まったという印象だった。II型からIII型になったときはレンズが新しくなるなど誰が見ても分かる文字通りのフルモデルチェンジだった。
 それに対してこのIV型は、外観を見る限りIII型とほとんど違いはないほどのマイナーチェンジ。わずかにパッシブAFの小さな窓で見分けがつくぐらい。しかしその中身はといえば、シリーズの中で「進化」の度合いがもっと大きいとぼくは思う。

 キープコンセプト。頑ななまでのキープコンセプトではあるが、GR-Dたるゆえんをもっとも具現化したカメラに仕上がっている。GR-Dたるゆえんとは、最高のスナップショットカメラであるということ。
 ま、そのへんの話は、もう少しGR-D IVを使ってから、おいおいとしたい。


 と言いながら、IV型の液晶モニターのことだけ、少し報告しておきたい。
 とにかく、明るいシーンでのモニター画面の視認性が抜群なのだ。たまたま出かけた快晴の、くらくらするほどの明るい茅ヶ崎海岸で、画面の端までくっきりと視認ができる。同じ場所で取り出した旧GR-D III型の画面を見たとき、なんだナンだこれは、と愕然としてしまった。それほど新IV型画面がくっきり鮮やかに見えた(III型ユーザーの気分を害してごめん)。これには驚いた。現行のデジタルカメラの液晶モニターの中では秀逸、ピカイチだろう。

 スナップショットカメラの必要条件として(たくさんあるけど)、あらゆるシーンで確実にフレーミングできるカメラであること、も大切なひとつだと思う。「ファインダー」が見づらかったり見えなかったりすれば、シャッターチャンスもフレーミングもあったもんじゃない、と、そう思いませんか。

12mm、一本で撮った京都の写真

オリンパス・E-P3+M.ZUIKO DIGITAL 12mmF2

 オリンパスのWebサイト、「OLYMPUS PRO PHOTOS」に掲載してもらっている12mmF2で撮った京都のスナップ写真について、少し補足説明。
 その作品を見てくれたある人から、twitterに「写真の大部分が露出アンダーに見える、PCのディスプレイがおかしいのか」との趣旨の書き込みがあった。ぼくに質問してくれたのか、それとも文字通りひとりごとの“つぶやき”なのか不明だけど、「いいえ、意図的に露出アンダーで撮影したものですよ」と返事をしておいた(わかってくれたのかどうかなあ……)。

 ぼくはここ数年、デジタルカメラを使っての仕事の依頼写真以外、つまり自分の作品撮りでは「意図的にマイナス露出」して撮ることが多い。カメラが決める標準露出で撮ると、ぼくが狙った(希望する)写真に仕上がらないことが多い。マイナス露出にして撮ったほうが(ぼくにとって)しっくりとした写真になる。さらに彩度を少しだけ強めにしておく。アンダー露出と彩度高め。これがなかなかいい組み合わせなんですね、最近のデジタルカメラには。
 むろん言うまでもないが、被写体にもよるし表現目的によって必ずしもマイナス露出も彩度アップもしないで撮ることもある。あくまで、最近のぼくの撮影時のカメラ設定の傾向、の話。


 ところで、京都の街をスナップするときは、これはデジタルカメラ、フィルムカメラを問わず以前からマイナス露出で撮影をすることが多い。
 ご存じのように京都の街並みは、古びて黒ずんだ建物が多いためと、路地のように街筋が細いために光が充分にあたらずに暗いシーンが多いから、必然的にマイナス露出をして撮らざるを得ない。いや、それと同時に、なんとなく京都の街はマイナス露出のほうが似合っているんではないか、とぼくは考えている。
 新幹線の京都駅をおりてカメラを手にしたら、ほぼ無意識にマイナス0.3EVまたはマイナス0.7EVにセットしていますね。

 以前は、そう、もうかれこれ20年近くも前の話になるが、その頃は、京都を撮るのは28mmの画角がぴったりしていた。ところが、最近は24mmぐらいの少し広めの画角のほうが「しっくり」するようになった。ぼく自身のものを見る視野角が広くなってきたのだろうか(精神的視野角は狭くなりつつあるかもね、これは反省)。
 「OLYMPUS PRO PHOTOS」のほとんどのカットは、ここを撮りたい、と思ったとき、カメラを構えずに被写体に近づいたり離れたりしてから、おもむろにカメラを構えて撮ったもの。カメラを構えてから、前に出たり後にさがったりとフレーミングの調整をほとんどしていない。撮っていて自分でも不思議に感じるほど、カメラを構えたらそれでフレーミングが決まった。ぼくの「眼」が24mm画角になってしまったかのようだ。

 なお、掲載してもらった写真はすべて横位置ばかりだ。これも意図して選んだ。もちろん縦位置写真もたくさん撮っている。「4:3」の画面アスペクト比で12mmレンズ(24mm画角)は縦位置がとても似合うし、フレーミングもしやすい。だから縦位置で撮った写真も掲載したかったのだけど、そのWebのスタイル上、横位置写真と縦位置写真が混在すると縦位置写真が相当小さくなってしまう。なのでやむなく横位置だけにしたというわけです。

「OLYMPUS PRO PHOTOS」

オリンパス・E-PL3+M.ZUIKO DIGITAL 12mmF2

 開放F値がF2、大口径の24mm相当の広角単焦点レンズである。45mmF1.8レンズがプラスチック鏡筒なのに対して、こちらは金属製。あちらは約3万円なのに対して、こちらは9万円近くする。45mmレンズの描写は初心者が見ても良い写りであることがすぐにわかる。「わかりやすい描写」なのに対して、こちら12mmレンズの描写は、たくさんのレンズの描写を見ている“眼力の確かな人”でないとなかなか良さが判断できない(かもしれない)。「わかりにくい描写」とでもいうか。

 45mmレンズの描写は、あまりにもクッキリとしすぎていて「好き嫌い」を言う人が出てくる可能性もなくもない。12mmレンズの描写はといえば、そうした好きとか嫌いを超越していてるようにも思える。きわめて欠点の少ない描写だ ―― 操作性については「欠点」が多少あるけど、その話はいずれまた。
 コントラストもシャープネスもやや控えめにしたレンズ設計のようで、その描写は欠点もないかわりに「クセも特徴」も大変に少ない。だから、ごく平凡的な写りに見えてしまうのかもしれない。でも、12mmの写りはあらゆる撮影条件でほとんど破綻のない ―― ごく意地の悪い逆光状態で少しゴーストが出てしまうことがあるくらい ―― じつにヌケが良く高解像度で豊かな階調描写性のある画像が得られる。


 最短撮影距離は20センチ。そこまで近づけばF2の開放絞りでは24mm相当の広角レンズとは思えぬほど大きくボケる。そのボケには(開放F値で撮っても)口径食も球面収差も非点収差もコマ収差も、ほとんど見られず周辺部でもほぼ真ん丸なきれいなボケになる。ボケ味がきれいなレンズは、とにかくクセのない自然な描写になる。
 つまり、遠景でも至近でも撮影距離にかかわらず、開放でも絞り込んでも絞り値が変わっても、同じように写ってくれる「信用のできる」優秀なレンズだと思う。

 ということで、その12mmの一本だけを使って撮影をした“京都の写真”を、オリンパス・フォトパスの中のサイト、「OLYMPUS PRO PHOTOS」で見られるようにしてもらっている。
 やや広角24mm相当の単焦点レンズではあるが(この画角は使いこなしがちょっと厄介だけど)、描写がとっても自然でF値も明るいこともあって、遠い被写体から近い被写体、広い場所から狭い場所、明るいところでも暗いところでもあらゆるシーンで自由自在に気楽に撮れる。
 そんな“京都の写真”を20数枚 ―― すべてが12mmF2レンズ ―― ぜひ、ご覧になってはいかがでありましょうか。

約70万円のカメラ

シグマ・SD1+150mmF2.8 APO MACRO EX DG OS

 SD1が正式発表になったとき、実販価格が「約70万円」と聞いてぼくは大変に驚いた。シグマにいったいなにが起こったんだろうか、予想より「高く」なったのはどうしてだろうか、と。
 発表前は、20万円から30万円ぐらいではないかと予想されていたし、ぼくはといえば、そうだったらいいのになあと期待も込めて「20万円以下」と大胆なことを言っていた。こうしたぼくたちの“予想価格”はぴたりと当たるとは限らないが、しかしそれほど大きく外れることもない。
 ところがこのSD1はそうではなかった。結果的に大はずれ。

 多くの商品は企画されるときに、まず、だいたいの販売価格が想定される。それに沿って細かな仕様が決まり、そこから部品や製造のコストが計算される。ユーザーターゲットにあわせて仕様を先に決め、それから販売想定価格を決める場合もある。かんじんの撮像センサーの部品価格などまっさきに調べる。
 いずれにしても製造にとりかかる前には価格はある程度決まっているのが普通だ。カメラもレンズも同じ。製品ができあがってからコスト計算して価格が決められるなんてことは、通常、まずあり得ない。


 以下の話はまったくぼくの想像である。なんの確証もない話。だから、戯言だ、と笑ってすませてもらえばいい。

 「約70万円」という価格になった理由は、SD1の正式発表が近くなったころに「予想外の大災害」が起こったことによるのではないか。その影響を大きく受け、当初の想定価格が大幅に変更されてしまったのではないか、という想像だ。むろん、これについてはシグマは黙して一切を語らない。災害の影響にしてしまうというのは被災者の人たちに対して失礼ではないか、という頑なな気持ちがシグマ(とくに山木会長)にあったのではないか、とぼくは思う。

 シグマのマザー工場は福島県会津にある。シグマのカメラもレンズも「国内生産」に徹していて、その協力工場は福島県に広く点在している。そうした協力工場のいくつかはあの災害で甚大な被害を受けた。福島原発の避難地域にあった会社もあったようだ。「もうこれ以上、会社を続けられないので」と、部品の金型などをシグマに引き取ってくれるように頼んできたメーカーもあったそうだ。時期的に見て、SD1の生産計画も大きなダメージを受けたのではないだろうか。

 今年、シグマは創立50周年の記念の年にあたる(今日、9月9日が創立記念日)。さらには Foveon も10周年の年でもある。SD1は、たぶん、シグマ創立50周年の記念モデルとして華々しくデビューさせる予定だったのではないだろうか ―― シグマの山木会長はこれについて否定をしているけれど。
 シグマの気持ちは、ほんらいの予定通りのもう少し“買いやすい価格”で記念のSD1として販売を始めたかったのかもしれない。そうできなかったのは、やむにやまれぬ事情があったからだろう。無闇矢鱈に「高い、高い」と文句を言うだけではなく ―― かりに災害の影響はなかったとしても ―― そのへんは忖度してやるべきだ。

魔性を秘めたカメラ

シグマ・SD1+85mmF1.4 DG HSM

 SD1が使用するFoveon X3センサーはその構造上(詳細は省略)、一般に使用されているベイヤー方式といわれる撮像センサーの画素数と比較するときに、独特の数え方をする。SD1のセンサーの有効画素数は「4800pixel×3200pixel×3=約46MP」と、カタログなどに表記されている。

 この画素数の数値だけをみれば、フルサイズ判やAPS-Cサイズ判を問わず35mm判一眼レフカメラのスタイルのデジタルカメラの中では、もっとも記録画像サイズが大きいことになる。一般的に、撮影した画像サイズが大きいほど、ほんのちょっとしたピント精度の狂いや微細なブレも際だって目立ってしまい「失敗」の大きな原因となる。


 こういう言い方をするのはSD1のユーザーに対して失礼になるかもしれないが、「失敗」なくSD1を使いこなして高画質な写真を得るにはよほど熟達した撮影技術を備えていなければならない。
 ブラさずにピントを正確に合わせて撮る基本技術はもちろんだが、もともと不安定な測光やWBやAFの性能しか備わってないので、それをうまくカバーしつつ撮れる高度な技術も持ってなくてはならないし、さらに、RAWで撮影をしてそれを自分が望んだ画像に仕上げられるだけの処理技術も必須となる。

 とにかく、使いこなしが大変に難しいカメラであること、使いこなすには覚悟が必要なカメラであることは確か。
 でも、その難しさを克服してSD1のポテンシャルを存分に引き出すことができれば(まぐれ、でも)、じつに素晴らしい描写の写真をものににすることができる。「至福」とでもいおうか、その写真に出会ったとき、少年が見てはいけないモノを見てしまったようで、こころは千々に乱れてしまう。魔性を秘めたカメラ、と言えなくもない。
 だから、SD1のようにAF、AE、WBがほんと頼りなくても、魔性に罹ってしまったのだからそんなことはどうでもよくなる。ますますSD1の世界にどっぷり浸かり、SD1から抜け出せなくなる。
 そうでしょう? SD1のユーザーの方々。

マニュアルに徹したカメラにすべきだった

シグマ・SD1+85mmF1.4 DG HSM

 いまさら言っても仕方ないことだけど、SD1は、マニュアル操作に特化したカメラにすればよかった。と、使っていてつくづくそう思った。

 ハイレベルのユーザーだけを狙って、とことんマニュアル操作にこだわり、機能も徹底してシンプルにする。媚びを売らない孤高のカメラ、とでもいうか。
 そのほうが、約70万円という価格にせざるを得なかったことも考えれば結果的にはそのほうが良かったのではないか。そうしたことができるのも、Foveon X3という特殊なセンサーと、SIGMAという“特別な”会社だからこそ思い切ったことができたような気もしないでもない。

 測光モードは多分割測光などいらない。スポット測光と中央重点測光だけでよい。だから、プログラムAEも絞り優先AEも必要ない。マニュアル露出モードだけでいい。ISO感度は基準(最低)ISO感度と、もう1段高感度があれば十分だ。なによりも画質を最優先するカメラなのだから、ISO800やISO1600なんて高感度はまったく必要ないじゃないか。高ISO感度で撮りたいならSD1以外にSD1以上に素晴らしいカメラがいっぱいある。連写だって高速なものはいらない。ゆっくりでもいいから、同じリズムでたくさん撮れるようにしてほしい。
 ただしピント合わせだけはAFは欲しい。いまや、高画素と画像サイズのことを考えれば、正確なピント合わせのためにはMFよりもAFのほうが断然、有利だからだ。たとえばF1.2やF1.4などの大口径レンズをMFでファインダーを見てピントあわせするなんて至難の業なのだ。


 11点測距なんていらなかった。オリンパスからAFセンサーを譲ってもらったって、それを満足に使いこなせないのだから、はじめっから中央1点だけでいい。その替わり徹底的にAF測距性能の正確さを目指す。
 ホワイトバランスモードは中途半端で気まぐれなオートなんていらない。太陽光モードとマニュアル・プリセットモードがあればいいじゃないか。いずれにしても、このカメラでJPEGだけで撮影するユーザーなんてほとんどいないのだから、RAWで撮っておけばホワイトバランスなどあとでどうにでも調整できる。JPEG記録は不要。

 ポートレートモードや風景モードなど初心者向けのカラーモードも必要ない。スタンダードまたはニュートラルモードだけでいいのではないか。
 これだけ省略すればずいぶんとすっきりする。これなら、もっともっと注目されるカメラになっただろう。
 一枚一枚を大切に念を込めて撮影をする。そうせざるを得ないカメラが、いまこそ一台くらいあってもいいんではないか。失敗すれば、それはすべて自分のせい。よく写らないことをカメラやレンズのせいにしない、できないカメラ。あらゆるユーザーに良く思われようと八方美人的カメラではなく、ガンコ親父のようなカメラ。

 ただ、SD1でつくづく欲しかったなあ、と思ったのは、ライブビュー撮影機能と、そのモードでのコントラストAFの機能だ。コントラストAFにスピードなど要求しない。確実にピントが合ってくれさえすればよい。コントラストAFが難しいというのであれば、拡大表示モードを使ってでもピント合わせはマニュアルで正確に合わせられるではないか。
 SD1の次、もしフルサイズ判のFoveon X3センサーを搭載したカメラ(数年後に出てくるような気もしないでもない)を企画しているのであれば、とことんマニュアル操作、というカメラにしてはどうだろうか。

じゃじゃ馬カメラ

シグマ・SD1+30mmF1.4 EX DC

 SD1はその正式発表前からアルファー版ベーター版製品版などをもうかれこれ6ヶ月近く使い続けている。
 気分がゆったりとして天気も良くて、今日はなんだかいい写真が撮れそうだなあ、と思ったときにこのSD1を持ち出して撮影をしていた。つまりそんな気分良好、天気晴朗のときでないと、SD1の「実力」を充分に引き出して使いこなすのにぼくはいつも難渋する。
 SD1が使いこなせないのは、ぼくの未熟な撮影技術のせいもある、とわかっているのだけれど、しかし、SD1それ自体が使いこなしのとても難しいカメラであるためだ(と、カメラに責任を負わせるのはいけないことだが)。誤解を恐れずに言えば、じゃじゃ馬のようなカメラ、か。

 AFで正確なピントを得ることが難しい、合わないことが頻発する ―― ぴたりっと狙ったところにピントが合ってくれれば素晴らしい描写なんだけれど。オートホワイトバランスはまったく信用ならない ―― 当たればいいのだけどまるで宝くじ並み。AE(測光)が不安定で露出が決まらない ―― 気まぐれな女性と付き合っているような気分で露出補正(なだめすかして)して撮らざるを得ない。
 すなわち、SD1を使いこなすナンバーワンのポイントこそは、カメラのオートに頼って撮ってはイカンぞ、カメラを信用してはイカンぞ、ということ。


 SD1のオートをやめて、徹底してマニュアルで撮影すれば、ほぼ期待通りの写真をものにすることができる ―― ただしピント合わせだけは、ファインダーを覗いてのMFでは正確なピント合わせはとても無理だ。気まぐれなAFに我慢しながらそれを使わざるを得ない。
 露出はマニュアル。ホワイトバランスはプリセットで、必ずRAWで記録。手ブレを防ぐために手ブレ補正レンズか三脚を使用して、ピント合わせは何度もAF測距を繰り返したうえで複数枚撮っておけば、撮影APS-Cサイズ判のFoveon X3センサーの実力を引き出して、それはそれは素晴らしい写りの画像が得られる。

 たとえて言えば、日産のスカイラインのつもりで乗ったのに、その中身はまるでレーシング・フェラーリだった、というようなもの。
 ふつーのセダン車のつもりでいたら、じつはレーシングカーだったというんだから運転はめちゃ難しい。乗り心地は悪い。サーキットのような舗装された広い道でないと思ったように走らせることはできない。デコボコ道は走れない。スムーズに走らせるには優れたドライブテクニックが必要不可欠。エンジンは高回転を維持していないと満足にギアチェンジもできない。前方も後方も視界は悪い。レーシングカーだから「走る、曲がる、止まる」のポテンシャルはひじょうに高いけれど、扱いこなすのが至難の業……。でも、べらぼうに速い(つまり、良く写る)。
 SD1はそんなカメラのような気もしないでもない。