全画素超解像ズーム

ソニー・α57+DT 18ー55mmF3.5~5.6

 α57に内蔵の「オートポートレートフレーミング」については“画期的な”と言ってもいいほどの撮影機能だと前回に述べた。人物撮影に限定してはいるが、撮影した写真を自動トリミングして“よりよい構図”の写真に仕上げてくれるもの。つまりトリミングして仕上げるわけなんだけど、通常、トリミングするとオリジナル画像よりも出来上がりの画像サイズは小さくなる(あたりまえだ)。

 ところがα57ではトリミングしているのに画像サイズはオリジナル画像と同じに仕上げられるのである。トリミングした後にカメラ内で拡大リサイズしているからだ。さらにまた、通常は単純に拡大リサイズすると、画像の“アラ”も同時に拡大されて(見かけ上の)画質は低下する。しかし、α57ではこのリサイズ処理をするときに「全画素超解像」という技術を使って(既にソニーのコンパクトデジタルカメラで採用済み)解像描写力をアップさせる処理を加えて画質を“向上”させている。

 このソニーの全画素超解像の技術についてぼくには詳細な知識はないのだけど、ごくカンタンに言えば、あらかじめサンプリングして得たデーターパのターンに従って撮影した画像の領域を決め、それぞれの領域ごとにシャープネスの強弱を最適にコントロールしながらフル画素の超解像画像に仕上げるというものだ。


 この全画素超解像の画像処理をオートポートレートフレーミングの撮影機能のときだけではなく、デジタルズーム撮影の時にも使って一般的なデジタルズームの画像よりも画質を“向上”させている。さらにデジタルズーム=トリミングしているのに画像サイズは元画像と同じ。それが「全画素超解像ズーム」だというわけだ。

 α57のボディ背面上にあるZOOMボタンを押すと全画素超解像ズームに切り替わる。撮影時の画像サイズの設定によってズーム倍率は異なるのだが、Lサイズの場合は2倍まで倍率がアップする。たとえば18ー55mmレンズでは、全画素超解像ズームをONをすれば18ー110mm相当までの画角で撮影できるようになり、さらに全画素超解像の技術を使って画質も“向上”させて仕上がる(とかなんとか、まるでソニーの宣伝文みたいになっちゃったけど)。

 ここでぼくが注目していることは、つまり、全画素超解像のような画像処理技術がもっと進化し、さらに画素数の高画素化が進んでいけば(実際、もうかなりの高画素化が進んでいるけど)、デジタルズームのように「トリミング処理」をしてもそれほど画像の劣化をせずに、そこそこの画質を保ちつつ手軽に望遠撮影が愉しめるようになるのではなかろうかということだ。
 最新の超解像技術と言えども、“目くじら”をたてて画質を見れば文句もツッコミどころもいっぱいあるだろう。でもしかし、「写せるか写せないか」という基準で考えれば、全画素超解像ズームのような撮影機能は(とくにビギナー向けのカメラには)大いに将来性と価値があるのではないだろうか。

オートポートレートフレーミング

ソニー・α57+DT 18ー55mmF3.5~5.6

 写真撮影で大切なことが3つある。ピント、露出、構図。このうち、構図を除きピントも露出も飛躍的に自動化が進んでいる。AFとAE。ともに、カメラを向けて写そうとしたシーンを自動判別して最適なピントと露出を決めてくれるようにまでなった(まだまだ完璧とはとても言い難いけれど)。
 ところが構図だけは、ピントや露出ほどに自動化が進まない。いままでに、カメラはあれやこれや“構図自動化”へのチャレンジはしてきているのだが決定打がでない。そもそも構図の自動化なんてあり得ないぞ、神に対する冒涜だ、余計なおせっかいだ、創作の自由を奪うもの、と強い反対意見がでるのは承知の上だが、ぼくは構図の自動化をずーっと待ち望んでいた。これからのカメラがやるべきことの、いちばん大切なことは構図の自動化だ、と強く思っていた。

 そこに出てきたのがソニーのα57。このカメラには新しい機能として本格的な構図自動化の第一歩となる「オートポートレートフレーミング」が搭載されているのだ。画期的、歴史的カメラだと言ってもいい。
 被写体は人物に限定されるのだが、カメラが自動的に“ベスト”な構図の写真に仕上げてくれる。つまり、人物にカメラを向けて撮ると、写した写真画像から顔を認識し、あらかじめ搭載された構図パターンに照らし合わせて素早く「トリミング」し、その画像がオリジナル画像に加えてもう1枚、記録保存される。


 顔認識の機能を利用してベストな構図を「作りだす」という、被写体は人物限定ではあるがこれはグッドアイディア、さすがソニー、すごい、素晴らしいです。
 この構図でいいのだと、まず1枚を写す。ところがカメラは、いやいやそれじゃあ甘い甘い。こんなふうに、もう一歩踏み込んで、ほらタテ位置構図にして、このフレーミングで撮るんですよと、おすすめ構図を見せてくれる。元画像もあるから、じっくりと見比べて自分の構図の足らざるところを反省しなさい、と。

 まあはっきり言えば、カメラが先生となって添削してくれるわけですが、しかしこの先生、いささか気分屋のところもある。その先生の指導にしたがって添削済みの構図と同じにしてもう一度、撮り直すと、いやいやそれじゃあだめだめ、とまたトリミングされる。ええい、悔しいともう一度チャレンジしても、またダメがでる。そんなことを繰り返しているといい加減、落ち込んでくる人もでてくるだろうが、そうかそうか、そんなテもあったかと新発見をすることもあり、あははは、ぼくはじつに愉しかった。

 画像認識技術がもっと進化していけば被写体が人物でなくても、このオートポートレートフレーミングの機能と似た構図自動化も不可能ではないはずだ。たとえば、花の認識ができたり、木々や山並み、建物などの画像認識ができるようになれば ―― 荒唐無稽、とは言い切れないぞ ―― 同じような手法で構図自動化ができるはず。いやあ、おもしろい時代になりましたなあ、これでまた、将来のカメラの進化にますます期待ができるぞ。

ぼくのK-01はイエローだけど

ペンタックス・K-01+DA 40mmF2.8 XS

 K-01はデザインが良い、という話を先日した。ここで言う「デザイン」とは、カメラという工業製品のデザインのことで、外観のスタイル、操作性、手触り感、そして生産性、コストなども含めての話だ。姿カタチの「美醜」のことではない。
 「デザイン」についてエラそうに語れるほどの知識はぼくにはない。しかしカメラの「デザイン」についは ―― カメラに長年、かかわってきて評価もしてきている関係上 ―― “好き嫌いの基準”でカメラのデザインを語りたくはない。無茶を承知で、“良し悪しの基準”でそれを語らねばならない。それはぼくの小さな意地。

 K-01の場合、パッケージングされている中身はほとんど決まっている。新しくカメラをデザインするといっても、デザインのために中身や操作部のレイアウトの変更はできないし、ボディのだいたいの「大きさとカタチ」にも厳しい制限がある。まったくの新製品カメラをデザインしていくのとは ―― 新開発の場合はデザイナーが設計者と協議しながら中身のレイアウトや操作系などの変更も不可能ではない ―― それとはワケが違う。とてもとても制約の多い中での新しいカメラデザインであったはずだ。

 そういうことを考えれば、K-01のデザイナーのマーク・ニューソンというひとは、大変に優れたセンスを備えた人ではないのかと思う。
 いやそれよりも、マーク・ニューソンがレンズ交換式デジタルカメラについて、いったいどれほどの知識を持っていたのかだ。たぶん、カメラメーカー内の社員デザイナーよりもずっとずっとカメラ知識は乏しかったのではないかと思う。


 にもかかわらず、完成したK-01を手にして、そして使ってみるにつけ、マーク・ニューソンのカメラセンスにぼくは感心することしきりでしたよ。完成品の操作性も操作感も素晴らしい。むろん外観の見た目もじつにすっきりとしてムダがない。小さな部品にも、その配置にもきめ細やかな配慮とこだわりがある。

 いま手元に、K-01とそのボディベースとなったK-rを並べて見ているのだが、うーむ、ウマいなあ、とつくづく感嘆する。
 いや、誤解されると困るんだが、なにもK-rのデザインがよろしくないなどと言っているのではないぞ。でも、K-01を見ると、もうちょっと冒険してもよかったのではないか、と感じなくもない。とはいえ社員デザイナーには、そりゃあ皆さんご存じないでしょうけれど、あれやこれや“外圧”が陰に陽にかかってくるので、自分の意見を貫き通すなんてことは不可能に近い。

 さて、K-01のデザインで感心したことは(じつはいくつもあるのだけど)、モードダイヤル、メインスイッチとシャッターボタン、そしてコマンドダイヤルの形状と素材、操作感だった。モードダイヤルの大きさは適度だし、その操作感もすこぶる良い。クリックしたときに「カチッ」といい金属音がするし、そのクリックの固さも素晴らしい。メインスイッチもじつに操作しやすい形状だし、シャッターボタンも押しやすい。カメラ上部のグリーンとレッドのボタンの輝きにも惹かれる。

 内蔵ストロボのカバーが金属製(アルミ)であることに気づいていますか、皆さん。おそらくデジタル一眼レフでは初めてで唯一ではないか(フィルム一眼レフではあったけれど)。その内蔵ストロボの前面に「PENTAX」のロゴがあるけれど、この文字が現行機種と違っているのに気づいていますか、皆さん。内蔵ストロボの金属カバーや「PENTAX」ロゴについては(それ以外にもたくさん)、マーク・ニューソンがガンとして譲らなかったと、そんなことを聞きました。それを許したペンタックスも褒めてやらなくちゃ。

画質については話をしたくないけれど…

ペンタックス・K-01+DA 40mmF2.8 XS

 良いデザインのカメラだ。デザインは文句なしに良い。はっきり言うけれどぼくは好きだね、このカメラは。

 始め、このカメラの姿カタチをまったく見てもないときに、K-01についてあれこれ話を聞きましたよ。それも悪い話ばかりを。でもしかし、実際に実物を見て手にしてみたら「えーっ」でした、イイじゃないのこれ。悪いていってた人、ここに出てきなさいっ、とまあ、そんな感じでしたね。
 で、使ってみたら、これがじつに愉しい。これは予想外だった。K-01を持って歩いて写真を撮ってるうちに、いいなあ、いいなあ、と気分が和らいでくる。いままでにまったく経験したことのない“写真を撮る愉しみ”がじわじわと出てくる。

 確かに、既存のミラーレスカメラの概念をもって見れば「大きい、重い、ぶ厚い」、そして「ぶさいく」でしょうね。けれど、こんなに個性的なスタイルをしたカメラ、ほかにあるか。ないですよ。たったそれだけで充分だ。どれもこれもハンで押したようなスタイルのカメラばかりの中に、少しぐらい大きく重くぶ厚いボディのカメラがあったって、べつに構わんじゃないか。


 ええ、そうですよ、ぼくは、さんざん悪口も言いました。レンズを外したら、大きな空洞があって、こりゃあこの中で金魚が飼えますよ、なんてね、CP+のペンタックス・リコーのブースで言いました。そりゃあもちろん冗談で、ウケを狙ってですが、でも本心は、良いデザインだなあ、こんなのがあってもいいじゃないの、と感心してたんですよ。
 人もそれぞれ、カメラもそれぞれ。いろんな「価値」があっていい。それがいま、いちばん大切なことなんじゃないでしょうか。

 ところで、「画質はどうなんだ、写りは良いのか」と問う人がいますけれど、どうでもよろしい、そんなこと。このカメラは、そこそこに写ればいいんですよ。そーゆーカメラなの。このK-01について画質がどうのこうのなんて、マジめな顔して言ってる人は、あほですよ。

 と言いながらも、ぼくもあほですから、画質の話を少しだけ。
 描写性能はいい。解像描写力もかなり高い。シャープネスがやや強いかな、コントラストが少し高めかな、と感じないこともないけど、それはそれ。
 このK-01が解像描写力に優れている理由は ―― ペンタックスは黙ってるけど、もう、いまとなってはバラしてもいいだろう ―― じつは、ローパスフィルターをたった1枚しか使ってないのだ。
 通常、ローパスフィルターは2枚でワンセット。それに波長板が加わって3枚構成になっている。ほんらいならば必要のない、解像を低下させるための“悪玉フィルター”の、そのうち2枚を取り去って1枚だけの構成にしているのだ。
 とうぜんながら、3枚よりも1枚のほうが解像力は向上する。だから解像力は高い、というわけであります。デザインの話は次回にもう少し。