京都島原・角屋

リコー・Caplio R7
 リコーのコンパクトデジタルカメラの話をすると、とたんに「高感度でノイズが目立つ」とか「ノイジーだ」と、すぐに反応する人がいる。まったくう、思考回路が短絡的で単純で困る。確かにリコーのカメラの高ISO感度の画像はノイジーだった。でもそれは遠いムカシの話であって、最近の機種では決して「ノイズが目立つ」と大騒ぎするようなものではなく、むしろ他メーカーの機種と比べても高感度でのノイズが少ない方だ。少ないだけでなくノイズ処理もウマくなっている。
 このR7だって、前モデルのR6に比べれば“格段に”ノイズは目立たなくなっている。ノイズが少なくなっただけでなく解像感も切れ味もあって、最高ISO感度のISO1600だって充分に実用許容範囲にはいる。R7の高ISO感度の画像をぼくが評価するのは、強引にノイズを消そうと画像処理をおこなって、そのせいで解像感、切れ味、立体感といった写真画像にとってきわめて大事な要素を台無しにしてしまうようなアホなことをやってないからだ。


 ノイズはじつにわかりやすい。昨日、デジタルカメラを購入して写真を始めたばかりの超初心者のアンチャンでも、ノイズがあるかどうか、ぐらいは画像を見ただけですぐにわかる。初心者がレンズの評価軸として周辺光量不足にだけにしか眼が行かないのと同じだ。ノイズと同じように周辺光量不足も、ただ見ただけでわかるからだ。超初心者にも見ることができる。誰でもわかるカンタンな表層的現象なのだ。
 しかし、デジタル画像にとってはノイズが目立つかどうかよりも、たとえば階調描写力だとか色調だとかコントラストの具合だとか、あるいは画像の解像感だとか奥行き感だとか、そういった写真の根源的な点こそ大事なことであって、それを見きわめる眼力をこそ養うべきだと思う。そのへんのことに重みを置いて画像処理をしているメーカーも最近、多くなってきている。リコーもそうだし、キヤノンも(コンパクトのほうだけど)1年ほど前から大きく軌道修正している。ノイズは(多少は)目立つけれど切れ味のある画像に仕上げることをねらっている。
 レンズだってそうだ。周辺光量が多少低下していたって、科学写真を撮るのでなければ気にすることなどない。ぼくたちにとっては豊かな階調描写力とシャープネス、解像感を備えたレンズのほうがずっと素晴らしいレンズなのだ。むろん、ノイズも周辺光量不足も目立たないほうがイイに決まっているが、デジタル画像やレンズの良し悪しを見きわめるときにはもっともっと大事なことがあることを忘れてはならぬ。抽象的でアナログ的で奥底に潜んだ現象を見きわめるには相当の訓練と、そしてセンスも必要だけど、逆に言えば、センスもない努力もしないような写真的ぐーたらが、ノイズばかりを気にしたりあげつらったりするというのも、うーん、困りもんですなあ。