超解像ってなに?

カシオ・EXILIM EX-ZR10
 「HDRアート」はZR10の注目の撮影モードのひとつ。さらにもうひとつ、ZR10には注目撮影モードがある。「超解像」である。“超解像テクノロジー”と言えばいいのか、“超解像モード”と言えばいいのか“超解像機能”と言えばいいのか。その超解像のテクノロジーは、もともとテレビの画面表示から始まった(と、思う、詳細はしらん)。それをデジタルカメラに始めて応用したのがパナソニック(と、思う)。カシオはそれに続く。
 超解像のテクノロジーはカシオはすでにEX-Z800やEX-Z2300などにも利用して、その撮影モードを備えているが、ZR10の超解像がそれらの機種と違うのは画像合成による“一歩進んだ”超解像のテクノロジーを使っていることだ。

 デジタルカメラの超解像は、撮影画像をシャープにして「見かけ上の」解像感をアップする画像処理のひとつ。遠景のシーンや高周波成分の多い被写体を撮ると、細部の描写ができずに、ぐちゃぐちゃぼあぼあ、としか描写できない画像を超解像テクノロジーで処理することで、くっきりはっきり明快、な画像に仕上げる ―― というのがウリだけど、いまのところ弊害もなくもない。
 カシオの超解像の画像を見ると、確かに見かけ上の解像感は向上しているように見えて、細部の描写がすっきりとしている。しかし、じっとその画像を見つめていると、シャープネスやエッジの処理、コントラストの調整が強すぎるためか、トゲがびんびんと目に刺さってくるよな感じがする。写真の優しさが薄れ、写真を見つめていても想像力が湧いてこない。

 ピントの合った部分とボケた部分の境界がはっきりとしすぎて、シロかクロか、イチかゼロか、の文字通りデジタル的な描写、とでも言えばいいのか。


 「良い写真画像」とは、その写真をじっと見つめているだけで、あれこれ想像が広がってくるような ―― そのためには明確に写っていることも大切だが、曖昧に写っている部分があることも大切 ―― 平面の2次元静止画像だけど奥行きや広がり、動き (これこそ想像力のなせるわざ) を感じさせる、そんな写真のことだと思う。アナログ的な曖昧さも必要ではないのか。
 ところが超解像の画像は、細かな部分までくっきりと見えれば(写れば)いいじゃないか、なにか文句あるか、と威張っているように見えなくもない。

 いや、誤解されると困るけど、ぼくは超解像の技術を否定しているわけではない。この技術をじょうずに生かせば、デジタル写真の“欠点”を補える可能性はあると思う。ただし、銀塩フィルム写真から連綿と続いてきた「良質な写真画像」の延長線上にのっていなければならず、そのルートから外れてしまうと、傲慢で独りよがりの写真画像に化けてしまうのではないか。

 超解像のテクノロジーは始まったばかりだ。これからこのテクノロジーを進めていくエンジニアや企画担当者は、良質な写真画像とはどんなものかをたくさん見てよく学んでほしいと思うぞ。シャープネスが高く、ハイコントラストで、エッジ部がトゲトゲしているだけの画像は、いつかは化けの皮がはがれるぞ。