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使い込んでみないと良さがわかりにくいカメラ

キヤノン・EOS 5D Mark III+EF24ー105mmF4L IS

 この1~2ヶ月のあいだに、たくさんの新型カメラやレンズを使う機会があった。そうした「新型」の試し撮りの合間をぬって愛用の「旧型」のカメラやレンズで仕事や作品撮りのための撮影も続けていたから、それでなくても整理整頓のゆきとどかないぼくのアタマの中はごちゃごちゃだ。だからどうした、というわけでもないのだけど…。

 この、キヤノンの5D Mark IIIも、使い始めたのはだいぶ前のこと。
 そう言えばもう昨年の秋の話になるが、EOS-1D Xが発表になって ―― 5~6ヶ月も前に発表だけして発売日がいまだに未定というのは前代未聞の“歴史的カメラ”だけど ―― その時に試作モデルを少し使ったりした。だから5D Mark IIIを初めて手にして使い始めたときは、それほどの強い印象を受けなかった。操作方法や一部の機能などがとっても似ていたからだ。

 しかし、5D Mark IIIを使い始めてみると、日時を重ねるごとにその「良さ」がじわじわと伝わってくるのだ。これは良いカメラだなあ、と使うほどに感心した。キヤノンのデジタル一眼レフカメラは、だんだんと「良い方向に変わりつつあるなあ」と実感もした。EOS-1D Xもそうだが、いままで採用することを頑なに拒んできたような「あってしかるべき」機能がどしどし取り入れられている。
 もっと評価されてもいいカメラなのに、どうもイマイチ盛り上がりに欠けるような、そんな気もしないでもない。


 しかし実際に時間をかけて、じっくりと使い込んでみないと「良さ」がわからないようなカメラを作ってしまったというところが、5D Mark IIIについて言えばキヤノンの“痛恨のミス”ではなかっただろうか。
 今回ばかりは、キヤノンが真正直すぎたのかもしれない。じっくりと熟成させ完成度を高めたカメラを作ればユーザーは必ず評価してくれる、とまるで少年のような純な気持ち(ぜんぜんキヤノンらしくない)だったのではないか。

 「正常進化させたカメラなのだ」と、わかったようなわからないような抽象的なコトを言ったって(ぼくもときどき原稿などで書くけど、スマン)、いまの時代、新型カメラの良さはなかなか伝わりにくい。やはり、新型は“新型らしい”わかりやすい新機能や新機構 ―― 使ってみなくても見ただけでわかるような ―― は必要なのではなかったろうか。つまり5D Mark IIIには「飛び道具」がなかった。

 だから正直を言えば、当初、5D Mark IIIのスペックを見たとき、このカメラの“ウリ”はいったいナンだろうか、とかなり戸惑った。ちょうどこの5D Mark IIIの発表の前に、強烈な飛び道具 ―― 3630万画素の高画素とローパスフィルターの仕掛け ―― を備えたニコンのD800/D800Eが強烈な存在感を示していたから、どうしてもそれと比べられてしまい5D Mark IIIの魅力がよけいに薄まってしまったようだ。

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