5D Mark IIIに「飛び道具」はないけど

キヤノン・EOS 5D Mark III+EF24ー70mmF2.8L

 前回のこのブログで、5D Mark IIIには「飛び道具」が必要だったのでは、というようなことを書いた。「飛び道具」とは、くどくど説明しなくても誰もがすぐに“おおっ”と驚くような斬新な機能または機構、と理解してもらえばいいだろうか。
 5D Mark IIIには、高ISO感度の画質が素晴らしい、というそれに近い機能を備えてはいるのだけど、良さを理解するまでにワンテンポズレる。そうじゃなくて、ストレートに感覚的に“おおっ”と反応できるような機能がひとつぐらいは必要だったのではなかろうか、ということ。

 話が横道に逸れるが、その「飛び道具」という言葉を初めて使い始めたのは、確かニコン・フェローの後藤さんだったと思う。後藤さんはムカシからそうしたツボを突いたような名文句をいくつも“発明”した。この「飛び道具」は、後藤さんとしては当初、カメラ本来のあるべき進化をせずに“打ち上げ花火”のような機能を盛り込むことだけに汲々としているカメラ設計の方向を揶揄する意味で使っていたのだが、しかし最近はその「飛び道具」を備えていないと新型カメラが見向きもされなくなったという風潮があるのは皮肉な話だ。

 ところで、クラスが下の新型機種がスペック的には上位機種を上回ってしまう現象を「下克上」というのだが、その名文句も(たぶん)後藤さんが言い始めたこと ―― その後、とくにニコンのデジタルカメラに「下克上カメラ」が多く出現したことは、これまた皮肉なことだけど。


 5D Mark IIIを使ってぼくが感心したことは、高ISO感度の画質の良さは言うまでもないが ―― ぼくとしては、よほど神経質になってノイズを気にするのでなければISO3200でも、なにも文句はなかった、まったくの常用感度域内だ ―― 、視野率約100%のファインダーの視認性の良さ、シャッターを切ったときのキレのよい感触、じつにきめ細かな撮影機能の設定とカスタマイズ性、そしてバッテリーのモチの良さ、などなど。

 AFの測距性能も確かに向上しているようなのだが、ぼくは中央一点しか使わないのでその“ありがたさ”がイマイチ良くわからなかった。
 ライブビューモードでのコントラストAFの測距スピードは相変わらずノンビリ、モッタリしていた。こういっちゃナンだけど、キヤノンEOSのコントラストAFはカメラメーカーの中で“ダントツ”に遅い(どうも原因はレンズ側にありそうだけど)。

 で、使っていて感じたちっちゃな不満と言えば、そのライブビューでの測距スピードぐらいで、他については大満足のカメラだった。
 5D Mark IIIを使い始める前は、「5D Mark IIで十分じゃないか、どうしても高感度の撮影にこだわるという人でなければMark IIIに買い換える必要なんてナニもないぞ」と思っていたけど、いやいや、実際に使いこんでみると、「Mk IIユーザーは(じつはぼくがそうなのだけど)、ちょっと考え直したほうがイイぞ」と、考えを改めるようになった。
 「飛び道具」は持ってないけど、正々堂々、真正面突破型のカメラ、ま、そんな印象かな。