本日はヨッパライ説教オジサンになりました

オリンパス・E-P5 + M.ZUIKO DIGITAL 75mmF1.8

 E-P5に限らないことだがオリンパスのカメラには、AFとISに小さな持病のようなものがある。それは決して難病ではなくいずれ自己治癒されていくことだろう。時間の問題だ。しかし、いま急いで改善していかなければならないのは、オリンパス独特の論理と思考方法を備えた「オリンパス語」ではないかと思う。
 このオリンパス独特の言語を聞き分けたり理解できる人たち ―― 言い換えれば熱心なオリンパスファン ―― そういう人たちにとっては、ごくごくフツーのことで、まったく違和感を感じていない。しかしそうでない人たちにとっては、オリンパス言語こてこてのいまのオリンパスのカメラを使いこなすのはそれ相当の「努力」が必要だ。

 オリンパスはそんな ―― 少し言いすぎかもしれないが ―― 独善的な言語をベースにしてカメラを作っていっちゃあイカンと思う。もう少し皆んなが理解できる共通言語でカメラを作っていくべきではないか。

 PEN E-P5だってOM-D E-M5だって、総合的に見てみればフルサイズ判一眼レフカメラに匹敵するほどの実力と性能を備えている。それを越えることはないにしても、充分に"張り合っていける"だけのポテンシャルを持っている。
 問題はただ一つ、独特の(=独善的な)オリンパス言語と論理ではないだろうか。オリンパスの新型カメラのメニュー画面を見ながら、自分が使いやすいように初期設定を変更していくときに、いつもそんなことを感じる。他のメーカーのカメラと「作法」が異なる。


 独善的だ、なんてキツい言い方をしたけど(すまん)、オリンパスの姿勢は頑迷固陋で聞く耳を持たぬというふうではなく、ただ、暖かくて優しいオリンパスユーザーに囲まれて、のほほんとしてるだけのようにも見える。
 善意のカタマリのような従来のオリンパスユーザーをいままでどおり大切にしながらも、これからは新しいオリンパスユーザーも開拓していく「努力=オリンパス論理の切り替え=オリンパス語の払拭」をしていかなければならないのではないだろうか。

 なんだかヨッパライ説教オジサンのたわごとみたいになってしまったが、とにもかくにも、E-P5を使っていて感心していることは「とても良く写る」ということで、それもあわせて言っておきたい。その画質は、あまたあるデジタルカメラの中でトップクラスといっても言いすぎではない。それだけの実力を持っているのだから、いまのPENシリーズもOM-Dシリーズも(オリンパスユーザーも)もっともっと大切にする方向で、オリンパスは自分自身の閉鎖的現状を自覚しろよ、もっと冷たい外気に触れろよ、と言いたいわけですよ、ぼくは。がんばれオリンパス。