「撮影の愉しみ」とはなんだろうか

LYTRO・LYTRO ILLUM

 ライトロ・イルムのイメージセンサーは約4000万画素の1/1.2型CMOSである。約1インチ型。その前面に特殊なマイクロレンズを配置して「光の角度情報」を取り込んでいる。拡張子が「LFP」のRAWファイルだけが記録される。ファイルサイズは約50MBほどある。これを専用ソフトを使ってJPEGファイルに仕上げると約400万画素相当の画像サイズに仕上がる。
 ざっと1/10になるわけだが、つまりライトフィールドカメラは、その独特の仕組みによって高画素でないと充分な画像サイズの仕上がりとならない。

 内蔵レンズは30~250mm相当のF2大口径の8倍ズーム。レンズには絞り機構がなく常時F2の"開放絞り"で撮影をする。シャッタースピード連動範囲は30~1/4000秒、ISO感度はISO80~3200、最高3コマ/秒の連写が可能。




 ピント合わせはAFでも可能なのだけど、撮影後にリフォーカス(ピントを自在に変更)したり被写界深度を効果的に調整するには、MFでピントを合わせたほうがずーっと操作性はいいし、結果もよい。ぼくは始めにAFを使ってみて、「こりゃあ、アカン」とすぐに放棄、それ以来MFでしか撮影をしたことがない。

 撮影するときに最適に「ピント合わせ」をしておけば ━━ ヒストグラムのような表示を見ながらピント合わせをする ━━ 自由自在にピント位置を変更して1枚の写真に仕上げることができる。テキトーに、曖昧にピントを合わせれば望んだようなリフォーカスはできない。
 この「ピント合わせ」がもう少し容易にできるようになればライトロ・イルムはもっと使いやすいカメラになったと思うが、いまはそのへんが課題か。

 もっと少し使いやすいカメラになれば、撮影時にはピントのことをまったく考えることなく撮影して、あとでじっくりと写真を見ながらリフォーカスして仕上げることができる。パーンフォーカスにすることも、ただ1点だけシャープにして前後を大きくぼかして仕上げることもできる。

 でも、そうした「ピントの後決め」を前提にして写真を撮ることが、はたして愉しいものなのだろうか。

 写真表現で大切なことは、「1に構図、2にピント、3、4がなくて5に露出」だと常々ぼくは思っている。
 構図を決めるということは、すなわちフレーミングをしてシャッターを切るタイミングを自分で決めることだ。そしてピントの位置をどこにするかを自分で決めて、撮る。写そうとする対象(シーン)と面と向かい合いながら、フレーミングしピントを合わせて、狙ったタイミングを見はからってシャターを切る。失敗あり、成功あり。それこそが写真撮影の醍醐味、写真の自己表現ではないのか。

 撮影した後に、興奮や感動が薄れてしまってから別な気分でピント位置を選ぶ。失敗なし、成功だけ。というのは、さてどうなんだろうか。迷いながら悩みながら構図を選びピントを合わせチャンスを見極めて撮る、その愉しみを捨ててしまうことになりはしないか。
 もしかりに、このライトロ・イルムに将来、動画機能が搭載されて、4K対応だとか8K対応の動画撮影可能なんてことになれば、ピントもシャッターチャンスも「アナタまかせ」になっていまいかねない。
 そんなカメラで写真(=限定された空間と瞬間を撮影者自身が選んで仕上げた静止画像)を撮って、どきどき感とか達成感が得られるだろうか…。